沈み逝くもの RSS
誰かの真似
誰かの真似をするというのは大事だと思う。
あんな風になりたいなど始めるきっかけなんてなんでもいい。だけど同じことをしても全く同じにはならない。もし同じになってしまうなら「その人らしさ」が、まだ上手く育っていないんだと思う。おんなじものを身につけて、おんなじ髪型をしていても、目立つ人は目立つ。それは生まれ持った容姿とか、そういうことではなく、自分の中にあるもののあらわれだと思う。
そこを鍛えるためにまた真似て、失敗して、また真似て、驚嘆して、嫉妬して、また真似て、傷ついて。
どんなに真似ても出てしまう「自分らしさ」に嫌気がさし、消してしまいたいと願うほど、呪われたなら、何を真似てももう自分しか出てこない。
僕の作品を真似してもらえるような、そんな強烈な作品を沈み【shizumi】で生み出していきたいと思う。
沈み×嬉野
僕が初めて嬉野を訪れたのは、結婚の挨拶に妻の両親に会いにいったとき。
高速バスを降りて最初に吸った嬉野の空気はよく澄んでいた。
妻の両親はあたたかく僕を迎えてくれ、僕たちは家族になった。そして、昼夜問わず町の人々と飲み歩いた。どこへいっても歓迎された。
もちろん日本三代美肌の湯で有名な温泉も、伝統ある嬉野茶も素晴らしい。でも僕の体に一番染み込んだのは、この町の人々のあたたかさだ。
なぜこの町を僕は知らなかったのだろう。もっと知ってもらいたい。自然とそう考えるようになった。それがはじまりだった。
嬉野茶による美しいお茶染めと出会い、自分の染めに取り入れるのにずいぶん苦労した。お茶だけでは思いの色が出せず、嬉野温泉水を使わせてもらった。
かなりいいものが完成した。
この作品を通して多くの人が嬉野を知ってくれたら、と心から願う。
是非みなさま、あたたかく、やさしい町、嬉野を訪れてみてください。
協力してくださった全てのみなさんに感謝します。
テーマ
「沈み」の作品郡に関してはほとんど情報を開示していません。
何を表現しようとしているのか、どういうものからヒントを得たのか、何がきっかけでその作品をつくりはじめたのか……。ヒントとなるのは作品名くらいでしょう。
もちろん僕はある程度までは把握できている。でもどうしても言語化できない部分がある。
それを大事にしたい。
デザイン、作品名、撮影場所、写真、全てがメッセージです。
一方で、それを着て感じとるのはその人であって、その人が観て、着て、感じて、考えてくれればいい。
それぞれの、その時々の、答えがある。それでいい。
何度も着たら色褪せていくかもしれません。だけど、そこにはまた新たな感じ方が待っている。
「沈み」はお客さんが着て、感じて、初めて完成するものです。
あなたと共に「沈み」がありますように。